もうすぐ移住… 介護施設を退職しました


2月いっぱいで、2年勤めた介護施設を退職した。




心理カウンセラーの先生の事務局を辞めたあと、たまたま家のポストに募集のチラシが入っていて、夜勤で2万円くれるというので面接を受けてみた。


以前設備会社を経営していた時にボランティアで近所の老人ホームに出入りして、施設がどういう所かはだいたい知っていたので抵抗感はなかった。


両親もだいぶ年老いてきたので、介護の技術も修得したかったというのもあった。




働いてみたら、楽しくてやめられなくなった。


しかし給料が、絶望的に安かった。将来的に、最高の資格を取っても、施設長になっても、子供二人を育て上げる金額には満たない。


ケアマネージャーの資格を取るには、5年の経験がいる。


しかし5年も勤めたら、55歳になってしまう。


この年齢の5年間は貴重である。


ケアマネージャーを持っていた所でたいした収入には、つながらない......




まだ頭と身体が元気なうちに、自分で事業を始めたいと思っている。




2年間働いている間に、様々な業界の悪いところが、見えてきた。


慢性的に人が足りない。


傲慢な人間が多い。


管理能力がある人材がいない。


介護業界に根付くマニュアルに矛盾が多い。





僕のいた施設には、ご老人に対し、スタッフに対し尊厳を踏みにじる言動が、飛び交っていた。


僕のいた2年のあいだにも、スタッフがしょっちゅう入れ替わり、その都度雰囲気が変わっていたが、自分の親を入居させたいと思えたことは一度もなかった。


それでも長く続けられたのは、夜勤専門だった為、関わるスタッフが少人数ですんだことが要因だ。





そして何より、入居しているご老人と様々な絆を結ぶことができたことが、辞められない理由になっていた。


マニュアルでは、スタッフと入居者は一線をひき、余計な話はしてはいけない事になっていた。


でも僕は色々な話をして、皆との絆を深めた。


時にはそれを問題視され、攻められたが、曲げなかった。




夜勤は16時間拘束なのだが、そこから更に残業して頑張った。


月一回のイベントには、率先して参加した。





東日本大震災で、津波に流された介護施設のニュースがあった。


ある若いスタッフは自分の命を失ってまで、ご老人を避難させていたと聞いたが、僕が同じ状況になっても、それをやると思う。


それぐらい皆を愛していた。


皆を家族だと思っていた。





僕がいた2年間の中で、様々なお別れがあった。


違う施設に移ってしまった人や、入院してそのまま亡くなってしまった人。


僕が辞める日まで残っていた人に対しては「さよなら」を言わなかった。


いや


言えなかった。


皆の笑顔や、いつも通りの会話をしていたら、胸がいっぱいになってしまった。


お別れの時がきた。


僕は、僕の道を行く。


さようなら


お元気で


皆さんのことは忘れません



ありがとう


ごめんなさい


許してください


愛してます




2017/3/15 更新 夫のブログより転載



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